東京大手・日本交通の創始者である故・川鍋秋蔵氏は、1899年8月生まれで、今年で生誕126年である。埼玉県宮原村(現さいたま市)から上京し、梁瀬自動車商会に運転手で入社した20歳の1919年が、有楽町でタクシー自動車株式会社が営業を開始したタクシー事業生誕の時であった。まさに故・川鍋秋蔵氏は、タクシー事業の草創期を駆け抜け、今日のタクシー事業の礎を築いた一人といえる。
そして1928年4月の入社9年目に1928年式ビュイック幌型新車1台を4000円で購入し、都内京橋区木挽町(現在の中央区銀座四丁目の歌舞伎座付近)を営業拠点に、念願の独立を果たした。
29歳だった。一方、三代目となる川鍋一朗氏は、慶応義塾大学卒業後、アメリカへ留学してMBA(経営学修士)の学位を取得し、大手経営コンサルタントのマッキンゼー・アンド・カンパニーを経て2000年に日本交通に入社。同じく29歳であった。一朗氏は現在、54歳となっているが、同じく秋蔵氏の29歳の独立からの事業展開を詳らかにし、対比してみた。
現在の一朗氏と同年齢時に、秋蔵氏はタクシー車両を702両(都内タクシー車両は289社1万220両)で運送収入は8億2492万円。ちなみに公務員の初任給は月額8700円、大卒初任給が月額1万0140円。当時のタクシー運賃は、初乗り2キロ80円・加算500メートルごと10円だった。
現在の日本交通は、タクシー車両4775台(連結会社を含む)とハイヤー675台などで、運送収入は913億6400万円、ちなみに大卒初任給は、平均月額21万3000円。都内のタクシー運賃は、1096メートル500円・加算255メートルごと100円。
これらの数字を見ても、三代目の一郎氏は、創始者の秋蔵氏の築き上げた礎をさらに拡大発展させてきたことが明らかだ。大卒初任給で見ると現在と1954年当時の比較では、約20倍もの格差がある。単純に当時の売上8億円を現在の価値で20倍すると約160億円。そして29歳で一朗氏が入社した時の売り上げは372億7500万円だった。それを26年後には約2・5倍にしている。いずれも目を見張る経営数値である。「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉があるが、「古きを訪ねて川鍋一朗氏を知る」という意味では、筆者が以前に執筆した特集「東京・日本交通の栄光と挫折 川鍋一朗研究」に詳しい。全タク連の川鍋一朗体制も5期10年目を迎えるのを機に、手前味噌ではあるが、「川鍋一朗研究」を改めて目を通しながら、創始者に恥じないタクシー事業の隆盛とともに、一朗氏の業界リーダーとしてのこのところの言動に思いを致して、その背景を垣間見るようで一人合点している次第である。
(高橋 正信)
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